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中小企業・地域力活性化に尽力して約30年“まいど教授” 関西大学名誉教授 大西正曹 の事務所

コラム「二極化する中小製造業 その再生の処方箋 東大阪の事例」 column

 東大阪の中小企業は、様々な業種、業態の中小企業によって成り立っている。しかも、製造業の一大集積地として層(業種)・幅(零細から大企業まで)・厚み(基幹技術から先端技術まで)が揃う。
 東大阪市の中小企業は自動車・家電など特定の産業に特化していない。業種も機械金属関連、紙・印刷、化学・プラスチック、食品、繊維など多岐にわたり特化した産業がないということである。さらにその形態は、地場産業として発展してきた伸線、金網、鋳物、バリカン、工具など、家電産業の部品製造基地、都市的産業である印刷、金属製品、日曜雑貨と、多様な側面を持っている。さらに業態も、特定の製品を持つ・加工専門にする独立企業もあれば大企業の一次・二次下請企業さらに賃加工もある。一人から3人の零細企業もあれば、新規開業した知識集約型のベンチャー・ビジネスや、既存の企業が新規分野に挑戦する第二創業もある。日本の中小企業の縮図である。

 しかし、近年の産業空洞化の影響で、松下冷機、葵機械などの地区の基幹企業の移転や廃業が目立つようになってきた。さらに、その跡地が、物流拠点や大型小売店、食品産業、住宅、駐車場、マンションになり、工業地帯から住工混在地へと大きく変貌を遂げている。産業集積が企業にもたらす様々なメリットは、研究、開発、試作、加工、組立、販売といったプロセスが分割されて存在しているため、自社の経営資源で調達しなくても外部資源を活用することが可能だという点だ。また、産業集積の中に存在することで、あらゆる情報を入手できる可能性が出る。そして、人材である。その流動が、都市の産業集積の中で技術の移転と向上に貢献してきたといえる。独立心の強い職人が新たな企業を設立してゆき、それが産業集積を形成していった。また、大都市及び周辺地域の住民の活用もある。中小企業では、パート従業員が重要な労働力となっている。大都市の産業集積においてはパート層の重要性が無視できない、と指摘されてきた。だが、多くの企業の移転・転業・廃業がこの集積機能の維持を、困難にさせている。
 経済のグローバル化と高度情報化の進展等により、我が国の産業構造は大きく変化してきている。このような中で、地域中小企業にあっては、新技術の導入、既存製品の高機能化・高付加価値化あるいは新分野進出といったことが必要になってきている。

 東大阪の工場数は、約8千若あり、全国で5位である。しかも、東大阪にある工場の内、いわゆる中小企業の占める割合が99.9パーセントで、この中小企業率も全国的にみて高い。さらに、中小企業の密度についてみると、東大阪は日本一高い。しかし、東大阪が“中小企業の町"と言われる理曲は、単に中小企業が多いということだけではない。
 では、なぜ東大阪地域に中小企業が集積してきたのか。その前提条件として、当地は地理的に見て、大阪市と隣接する内陸部に位置していることから、加工型の中小企業が立地するのに適していたといえる。明治から大正期にかけて東大阪地域には様々な産業が発達してきたが、それらはまだ幼稚な産業で、農業が地域の中心をなしていた。ところが、大正から昭和初期にかけて大阪電気鉄道(近鉄奈良線)の開通を契機にして、道路や高井田地区の耕地整理など都市基盤の整備が進められ、大阪市と接する布施地区から工業化がなされてきた。こうした電鉄の開通とそれに伴う電力の導入がなされたことから、大阪市内から東大阪地域(特に布施地区)への工場の移転が増えることになり、市街化が始まり、加工型の中小企業が急増した。東大阪に本格的な中小企業の高度集積がみられたのは、我が国の高度経済成長期であったといえる。東大阪地域では戦火を免れたこともあって産業の復活は比較的早くから始まり、在来の地場産業が戦後の特需で活気にあふれた。そして家庭電気産業が台頭し、やがて大阪では松下、早川、三洋の大手家電メーカーの成長によって家電王国が築かれ、東大阪地域の中小企業ではこれらの部品生産へと傾倒し、下請企業としての色彩を強めた。こうした状況を背景に東大阪地域では色々な業種の中小企業が爆発的に増大した。また高度成長期がピークに達した昭和40年代の中頃から50年代にかけて、東大阪では、新規開業のブームが興った。その受け皿になったのが「貸工場」で、これら新規開業の急増によって、地域産業の零細化と多種多様な加工の分業化進められてきたのである。
 地域産業をみる上で、その地域における工場数というのが一つのバロメーターになる。東大阪の工場数については、昭和50年ごろまでは増加の一途をたどってきた。ところが、昭和50年以降製造業にとって経済環境に大きな変化があったことと地域の製造業にとっての立地環境に変化が生じてきたことから、工場数は横ばいに転じた。東大阪の工場は経済的、物理的条件の変化によって急増期から一転して安定期をむかえることになった。

 従来わが国では、海外から原料を輸入し、それをもとに国内で製品にして輸出するというのが、工業の仕組みとされてきた。この中で国内産業のモノ造りの社会的分業なるものが確立され、中小企業もその存立分野を確保してきた。
 ところが、急激な円高・ドル安によって大企業の生産の海外シフトが進み、産業の空洞化が一段と強まってきた。こうした経済環境の変化によって、わが国のモノ造りの構造も、単に国内での杜会的分業にとどまらず、東アジア圏を含めた国際分業の産業構造へと変化してきた。この影響で東大阪の中小企業の中にも、海外に進出または海外企業に生産委託を進める企業が増える傾向にある。中小企業の海外進出にはリスクも大きいが、逆に、外国をも含めたビジネスチャンスが拡大するという見方もできることは確かである。

 こうした従来の産業が空洞化する一方で、国内産業を育成するという立場から、在来の産業に代わる新しい成長産業の台頭が待たれている。その担い手として中堅・中小企業にその期待が寄せられている。今日の国内市場は、消費の成熟化によって、消費者(生活者)二一ズが多様化、個性化する傾向にある。多品種少量や個別生産を得意としてきた中小企業にとって有利な条件が拓かれてきたといえる。大企業は、あまり小さな市場規模の小さな分野には関心がない。そこに、中小企業が付け入る隙間があり、隙間に風穴をあけるのが、中小企業のベンチャー精神である。こうした中小企業の積み重ねが硬直した今日の産業構造に新しい産業をもたらすことにもなる。

 いかなる時代であっても、モノ造りは必要とされ、また、中小企業を必要としない時代はない。しかし、
今、モノ造りは厳しい冬の時代をむかえている。この難局を克服するためには、まず、中小企業が自らの経営努力によって、構造変化に対する創造的適応を図る必要がある。東大阪の中小企業群もまた、変革の局面をむかえ、“中小企業の街"も企業集積から、質の時代へと一層の高度化が求められている。そしてこの街を中小企業が環境変化に対して創造的に適応し、快適なモノ造りをおこなうことのできるものにしなければならない。日本といわず世界の中小企業者があこがれの地として東大阪市をめざし、彼らへ情報を広く発信できる街にしてこそ、東大阪市が「中小企業の町」から「中小企業のメッカ」へと発展するのである。



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