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中小企業・地域力活性化に尽力して約30年“まいど教授” 関西大学名誉教授 大西正曹 の事務所

コラム「組織のメンテナンスで 未来は切り開かれる」 column

 中小企業の活性化には、機械システムをメンテナンスするように、会社の組織をメンテナンスすることが必要である。
 メンテナンスの処方箋(せん)としては
〈1〉経営者の意識が企業業績に反映する
〈2〉自社にある既存の人材・技術・匠(たくみ)を見直すことが新分野への挑戦を可能にする
〈3〉自社の知を守り高めることにより新しい開発が可能になる
―などである。このニッチビジネス(にっちびじねす)が、今後も町工場の得意技だという体質診断に基づいている。
 だからこそ、企業間で自社の得意分野における連携や対等な関係を保つとか、多様な選択肢の中で、確かな選択によって自社の製品評価を高めることが可能になる。危機は絶えず存在するが、危機こそチャンスである。トラブルに遭遇して初めて、それを補修し、更に改善しようとするエネルギーが湧(わ)いて来る。
 経営に王道はなく、日々の小さな努力の集積が成功をもたらす。無から有は生じない。したがって、自社の既存資源を有効に生かすための知恵を絞り出す必要がある。組織を動的にメンテナンスすることにより、徐々に未来は切り開かれることを、多くの事例を用いて述べる。

市場評価 どう勝ち取るか  (2003年6月17掲載)
 「わが社が開発した製品や技術はすばらしい。必ず売れるはず」こんな幻想を抱き、自己満足に陥る中小企業経営者が多い。
 しかし、"売れて何ぼ"の世界では、市場が製品・技術を評価する。多くの経営者は「自社の持てる経営資源を点検して強さを生かし、得意分野に攻め込め」と指導しているが、ここに大きな落とし穴がある。市場に出した結果、さしたる評価を得ず失望するケースが目につく。
 兵庫県尼崎市の溶接機メーカーA社は、数年前、水中放電現象による活性水を体に良いと宣伝、販売を始めた。しかし、販路を確保できず撤退を余儀なくされ、かなりの借金を抱えた。
 こうした市場とのミスマッチは、なぜ生じるのか。企業の強みの有無は、市場が決めることだ。考えるべき点は、いかに外部の評価を勝ち取るかである。
 A社の失敗は、市場の反応を十分見極めず販売を強行した点にある。市場から見た評価を経営に取り入れ、受け入れられる商品や技術に改善すべきだ。そのための方法の一つは、内外の見本市やコンテストに積極的に出展し評価を受けること。市場の怖さを肝に銘じておかなければならない。

地域ブランド 維持の難しさ  (2003年6月24掲載)
 消費不況の中、商品に付加価値を付ける「ブランド戦略」が注目されている。揖保乃糸ブランド(兵庫県龍野市、県手延素麺協同組合)は、地域をブランドにした成功事例である。
 この地では、農家の副業としてそうめんが発展してきた。多くの零細メーカーが、個々に問屋へ卸していた結果、過当競争に陥った。この現状を打破するために、統一ブランドの下に厳格な品質管理を施し、市場から評価を得た。今日では、生産高に関しては日本一を維持している。
 多くの産地は、需要が増えると外部から製品を買い入れ、ブランド名を付けて消費者の目をごまかす。この事実が消費者に知れたために、消費者離れを起こした事例も多い。産地ブランドは、市場に浸透する有効な方法だ。しかし、一度消費者からの信頼をなくすと、その回復は厳しい。
 揖保乃糸ブランドは、高級品を選別し、それに正当な評価を与え、その基本的な価値を擁護することを図ってきた。この三つのポイントが、今日の成功に結び付いている。地域ブランドを打ち出すことは簡単である。しかし、ブランド維持が難しい。

違う視点で技能評価 新製品のヒントあり  (2003年7月1日掲載)
 日本一の中小工場集積地東大阪市には、種々雑多な業種がそろい、機械・金属産業デパートの感がある。帝国イオン工業株式会社(従業員二十五人)は、昭和四十年脱サラした先代が、仲間三人と貸工場でミシン部品にめっきを施す装飾めっき工場を創業した。そして、現在は機能めっきを中心にしている。
 しかし、不況のあおりで極度の受注不振になり、新規市場の開発が緊急課題になった。五年ほど前から取り組んでいた十ミクロン以下のめっきフィルム作製技術によって、それぞれの金属を薄くすることで今までになかった特性が出現することがわかった。その結果、「ナノ皮膜電極」の開発に成功。その応用範囲は無限にあり、外部と連携し新たな市場を創造しようとしている。
 あるものを改良しながら違うものに変えていくというのが、日本の得意技だ。そこから、次世代の技術や製品が生まれる可能性がある。いま、日本の素形材産業が再評価されているのはこの点である。自社が持っている技術、技能を異なった側面から再評価することにこそ、新製品のヒントが隠されている。あり合わせのものに改良・改善を施し次なるものを作っていくという「ピースミールエンジニアリング」こそが、日本の中小企業の真髄である。

「小口客」大切に うまく生き残り  (2003年7月8日掲載)
 質のニッチ(技術の特化)は非常に深い。しかし量のニッチ(少量生産)は狭い。普通ならニッチに依存すれば経営が、にっちもさっちもいかなくなる。にもかかわらず、うまく生き残った中小企業のノウハウを紹介しよう。
 中小工場集積地である東大阪市高井田地域は、金属加工のメッカだ。路地には無数の貸工場があり、そこで多くの職人たちが、自分の腕を頼りに独立していった。ミズノハードテック(従業員十二人)の水野晃氏(70)も、その一人である。昭和五十一年に勤務先の倒産に直面し、夫婦で貸工場で機械・金属の表面処理工場を創業した。
 扱っている表面処理は、精密部品・金型などの表面熱処理並びにセラミックス複合メッキ処理であるが、大手では対応出来ないほど処理の仕様が多岐にわたる。「小口の客」を大切に、取引は一社に集中しないように配慮、きめ細かな対応を心がけてきた。少量なものでも注文に応じ、今日では、日本全国で、口コミにより三百社に及ぶほどの取引先を有している。

自動化に積極投資 悪いイメージ払拭  (2003年7月15日掲載)
 プレス工業が抱える課題は、人材確保・イメージ払拭(ふっしょく)・高齢化・市場の冷えこみなどと山積している。それを、5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾(しつけ))+2S(静寂=Silence・安全=Safety)を重視し、着実に業績を伸ばしているのが、津村製作所(大阪市阿倍野区、従業員四十五人)だ。
 紙管口専業メーカーとして、昭和二十三年に創業した。現在、金型の製作からプレス加工まで一貫生産を行い、スチール椅子(いす)部品・道路保安資材部品・一般プレス加工品を販売している。
 二十年前に亡くなった父親から家業を引き継いだ津村卓男氏(70)は、求人で高校を回ったときに、就職担当の先生から「プレス工業はイメージが悪い」と言われ、まずプレスのマイナスイメージ(零細・危険・騒音・きつい)を払拭することから手掛けた。「働きやすい職場」をスローガンに、トップダウンではなく、従業員にやる気を起こさせる仕組みを作り、従業員とともに出来るところから改善した。
 騒音・振動の軽減を目指し、自動化に対する投資を積極的に実施。無事故記録を三十年間継続し、従業員の定着率は高い。高品質で安価な製品を、短い納期に安定供給するため、全員がモノ作りに励んでいる。

大手の技術力借り 「共同特許」も一手  (2003年7月22日掲載)
 ポリユニオン工業は、昭和四十六年創業、従業員二十一名のパイプライン・メンテナンスの会社である。社長(大工貞晋氏、58歳)は、昭和四十年から家業のシャトル製造業を引き継ぐ。だが、銀行・取引先へ多額の借金を抱え、当時八十六名の従業員を一挙に十六名まで削減、千六百坪の土地売却により何とか返済した。
 そうした中、知人の勧めで機械展に行き、初めてPIG(パイプをクリーニングする器具)を知ったのである。早速資料を取り寄せ研究・検討し、輸入品PIGを用いてパイプメンテナンスに進出した。しかしトラブル連続で、工事が終了するまで一時も目が離せない状態であった。
 そこで、自社のシャトルで培った樹脂発泡とスティール埋め込み技術を利用し、新たなPIG作りに取り組み自社開発に成功。新会社を立ち上げ、高収益企業に脱皮する。この過程で氏が学んだことは、「大手と組むと管理出来る範囲内に事業活動を限定」である。中小企業は、自前ですべての技術を賄う事は不可能だが、大手の懐に入り、大手の技術力の助けを借り、共同で特許申請に持ち込み、大手にも応分の利益がでる仕掛けをする事に大工氏は目をつけ、今日十件の特許を取得している。

成否大きく分ける   創造的活動の持続  (2003年7月29日掲載)
 伸線業は、東大阪を代表する地場産業だ。昭和二十三年創業の日本化線株式会社(従業員二十人)は、業界初のポリエチレンカラーワイヤを新発売して、市場拡大に成功。現在は、ホビー用カラーワイヤのトップ企業に脱皮している。
 不況と同業界との競合で、需要構造が大きく変化。針金は種々の造形素材としてホビー市場で売られていたが、硬くて種類も少ないことから、売れ行きは停滞していた。
 そこで、五年の歳月をかけて素材・加工方法を変え、強くて軟らかなワイヤを開発。「自遊自在」のブランドで出すが、市場の反応は鈍く、新規市場開拓の苦杯をなめる。そこで、社長自ら用途開発・使用事例を持参して店頭や学校で実演指導。各地でメディアと協賛して自社製品を使ったイベントを立ち上げ、現在は業界ナンバーワンの市場規模を目指している。
 中小企業の活性化には、三つの「新」(新規市場・新技術・新製品)が必要といわれている。いずれも現状の中小企業にとり、至難の業である。そこで問われるのが、難問を解く知をどこに求めるか、さらに、いかに創造的な活動を持続するかだ。それが、成否を大きく分ける。

関連企業との連携 世界と競争可能に  (2003年8月5日掲載)
 アルミ鋳造は、八尾・松原を代表する地場産業だ。大阪技研(従業員十七人)は、アルミニウム鋳造システムの技術開発を行う研究開発型企業で、一九六四年創業。畔柳基弘社長(64)には、三つの大きな功績がある。
 この業界で初めて、るつぼを使わない反射炉を導入し、経験と勘の世界にコンピューターを持ち込んだ。また、鋳造品の健全性・高品質・歩留まりを可能にするシステム開発に成功した。
 日本国内で操業している有利性は、高レベルの関連企業が存在することだ。研究開発に特化し、関連企業と巧みに連携することによって、世界を相手にした競争が可能になった。世界中から試作品の依頼があり、開発担当者は一年の大半を海外での技術指導にあたる。海外支店と海外の連携先が緊密な関係にある、小さな国際企業だ。
 日本の中小企業は、海外の追い上げに遭い生き残りの道を模索している。今一度、国内での操業の有利さを活(い)かし、その解を求めるべきである。コアコンピテンス(事業の中核)、クラスター(集合体)などの横文字に踊らされず、自身の足元を見直すことにこそ解がある。

限られた経営資源 有効に生かせるか  (2003年8月12日掲載)
 前回に続いて、巧みな経営戦略の視点で、アルミ鋳造の大阪技研(従業員十七人)を取り上げる。国内の自動車メーカー三社や、韓国最大の自動車メーカーなど、内外の自動車メーカーと今までに技術提携している。その経緯は、「一つのものにこだわらず、絶えず頭を柔軟にして新規技術に取り組む」社風が、内外の関連研究機関への積極的な情報発信・学会発表に繋(つな)がり、大きな評価を得たことだ。内外の技術担当者が同社を訪問し、次世代の技術に採用をと打診している。
 その一方で、大学・研究機関・関連企業と連携し、自社技術のレベルアップを図っている。海外進出も、ビジネス力のある台湾で製造し、需要のある韓国で販売する方法で行い、リスクを分散している。さらに、日本の企業が加速度的に増えている中国市場へは、単独ではなく、中国市場を熟知した台湾企業と連携して進出している。
 小規模で技術力のある企業がとる戦略は、限られた経営資源をいかに有効に生かすかである。人的資源・取引先・大学・研究機関など、日本はワンセットで揃(そろ)う強みがある。これをどのように活(い)かすか、経営者の知が問われている。

シャツ作りの技術 機械化できたが…  (2003年8月19日掲載)
 守口縫工株式会社(従業員三十五人、うちパート十一人)は、大阪府守口市で昭和十五年の創業以来、高級紳士用・婦人用の既製ワイシャツとオーダーワイシャツの製造販売で事業を維持してきた。とりわけ、大手デパートなどの既製とオーダーシャツ部門では大きな市場を占めていた。
 ところが、消費不況と海外からの廉価なシャツの輸入で、急速に売り上げが減少。そこで、利益が出ない既製シャツから、オーダーワイシャツに特化した。しかし、多種多様な顧客の体形・好みに合う生地の裁断は、高度な熟練技能が要求される。しかも、職人の高齢化と後継者不足は深刻で、技術の維持が困難な状況に差し掛かっていた。
 そこで、社長の田代精作氏(65)は、自らかかわってきた長年のシャツ作りの熟練技術をシステム化させようと計画、三年かけて成功させた。十五年前からはコンピューターによる型紙作製技術を確立させ、個別対応・短納期を可能にした。だが、平成十三年、かつて90%を占めていた取引先の倒産に直面、存続の危機に見舞われる。次回はその復活劇を。

新製造システムで 守りから攻めへ  (2003年8月26日掲載)
前回に続き、守口縫工のケースを取り上げる。
 最大の取引先が二年前に倒産した痛手は強烈で、従業員を五十五人から三十五人へ削減し、事業所も大幅に縮小せざるを得なかった。
 しかし、最大の取引先が危ない感触は早くから持っていた。そこで、既製品分野から少しずつオーダーメードにシフトするとともに、パソコンを導入し新たな製造システムを独自に開発。この戦略を武器に、守りから攻めへ転じた。同システムを活用し、三十万着以上のシャツ作りで培ったノウハウをソフトとして販売することを企画、昨年のビジネスフェアで好評だった。
 量から質へ様変わりした市場も、追い風になった。男性ファッション雑誌がブームを呼び、そこに掲載された店の売り上げが着実に伸びている。そんな折、京都や大阪の高級小売店から突然注文が舞い込んだ。「百貨店で御社のシャツを見た。委託生産をお願いしたい」。これが励みとなり、顧客の好みを尊重しながら、納期の短いオーダーシャツの製造に力を入れている。
 「先生が今度訪問される時は、モノづくりからソフト志向へシフトしているかも」と田代社長はほほえんだ。危機をてこに、甦(よみがえ)る自信をかいま見た。

過剰投資で倒産も 60歳から敗者復活  (2003年9月2日掲載)
 「先生少し待ってください、出来たてのご飯を食べてください」。小さなかわいらしいコンロとお釜、一人分の炊き立てのご飯が並んだ。東大阪市は、日本を代表する中小企業のメッカだ。そこには無数の町工場があり、多くの職人たちが自分の腕を頼りに独立した。そこには、悲喜こもごものドラマもある。
 東方工業の小山雅也氏(63)もその一人だ。十代で創業した町工場を、年間売り上げ百億円を超す企業にまで育てた。だが、三年前過剰設備投資により倒産、天国から地獄を経験した。私募債で資金調達を図り、再起をかけて一人で創業。製品開発に特化、製造・販売・配送などすべて外部に委託、徹底したリスク分散で経営のスリム化を図る。
 得意分野のカセットコンロの燃焼技術とボンベ着装技術を生かし、コストが固形燃料の十分の一。さらに、火力が強く火力調整可能な超小型サイズカセットコンロと、外から燃料の残量が確認できるボンベを開発。地元の新商品開発グランプリを受賞した。
 これをてこに大型料飲店に納入、着実に販路を拡充し売り上げを伸ばす。次の新商品も開発済み、六十歳からの第二創業は勢いが止まらない。

隙間埋める一括受注 中小の経営に示唆  (2003年9月9日掲載)
 大阪府摂津市にある精研医科工業=資本金五千万円、代表取締役田川順雄氏(62)、従業員六十二名、一九七七年創業=は、病院内の清潔環境づくりを構築する機材とシステムを提供し、メンテナンスを施している企業である。創業時は、病院向けの小物ステンレス容器の加工メーカーであったが、その後、手術室の施工、メンテナンスサービスを行うなど、製造、サービス両部門の小さな総合医療メーカーとなった。
 九〇年代に「院内感染」が社会問題化し、病院における感染症対策が緊急の課題として浮上した。同社は、早くから大学病院の院内感染防止策に携わり、ノウハウを蓄積していった。現在、清潔環境管理システムの納入実績は、関東地区でシェアNO1を誇る。
 同社が、成長を遂げた原因は、次の三点である。まず、多品種、小ロット、短納期、低コスト、メンテナンス。二番目は自前の製造ライン、若い技術者の熟練度の向上。三番目は、企画・立案、製作・施工・メンテナンスという隙(すき)間(ま)を埋める一括受注だった。
 とりわけ、三番目の「隙間を埋める一括受注」という新たな発想での戦略が奏功した。このことは、不況下で悩む中小企業の生きかたに大きな示唆を与える。

止まらぬ売り上げ減 特化か海外展開か…   (2003年9月30日掲載)
 大阪市平野区のユーシー産業(従業員七十三人)は、現会長の永吉昭夫氏が洗濯機用の合成樹脂ホースを開発し、一九六三年に創業した。六百件以上の特許を取得し、各種技術賞も授与され、大阪のエジソンと呼称される。
 創業以来、研究開発に特化し、相手先ブランドの合成樹脂ホース製造ではトップ企業。とりわけエアコン断熱ホースでは国内50%のシェアを占め、九五年には鳥取に生産拠点を移し、最新鋭設備を導入、低コスト化と量産化を図った。
 しかし、家電メーカーの海外進出に伴い、販売数が激減。海外の低コストの類似品が出回るなどして、国内外で激しい競争にさらされ、巨額の設備投資が経営を圧迫した。
 海外留学から帰阪した永吉清治氏(48)は鳥取工場の立て直しに着手、製品の多角化と生産ラインの見直しを図る。一定の成果を得て、一昨年に社長に就任。しかし、売り上げ減少は止まる様子はない。
 利益の出る部門へ生産を特化するか、生産部門を海外展開するかと悩んでいたところに、輸出相手先の企業から「中国で合弁企業を設立しないか」という打診が届いた。次回はその顛末(てんまつ)を。

中国で合弁に成功 新たな企業に変革  (2003年10月7日掲載)
 前回取り上げたユーシー産業(大阪市平野区)の永吉昭夫会長(当時社長)は、中国での合弁をめぐって否定的な意見もあった中、まず一ラインを増設する程度の投資で実験的に進出することを決めた。二〇〇一年四月、広東省に工場を開設、エアコン断熱ホースの現地生産を開始し、翌年には現地日系エアコンメーカーのほぼすべてに供給することとなった。東南アジアへの輸出も増え、二〇〇三年に中国工場を増床・増設し、創業赤字を解消した。
 合弁成功の秘けつは、〈1〉パートナーシップを大切にしたこと〈2〉現地を熟知する香港企業・日系商社に自社の力不足を補ってもらったこと〈3〉技術と従業員の現地化を徹底して行ったこと〈4〉日系企業の信頼を得ることに努めたこと――などである。
 合弁企業の成功によって、日本国内における断熱ホースの製造からの撤退が可能になり、ユーシー産業は新たな視点での研究開発型企業として生まれ変わることができた。鳥取工場の役割は大きく変わり、現在は大量生産型から高付加価値、少量生産型の工場に変革、製品単価も百倍以上の製品群に移行しつつある。さらに市場が認めてくれるものを開発生産するという、マーケットインの考え方を基にした営業部隊を強化し成果をあげている。

売り上げ減に直面 4つの対策で回復  (2003年10月14日掲載)
 大阪市此花区のカワデン(従業員四十名)は、深町陸夫氏(72)が川北電興の製作部門を分離独立し、制御用電動バルブ専門に一九七三年創業。研究開発に傾注し、小型、軽量で安価な、緊急時に一瞬のうちに弁を閉じる遮断装置を八五年開発、市場に受け入れられ、事業拡大に結びつく。
 用途も水、空気、汚水、油からガス、原子力など多くの分野にわたる。製品数は四百点以上。文部科学大臣賞をはじめ、多くの特許と技術賞を授与され、大阪を代表する研究開発型企業である。
 だが、九七年頃(ごろ)から市場の冷え込みとライバルメーカー(中国など)の登場で急激な売り上げ減少に直面する。新工場の立ち上げ時期と重なり、経営を圧迫する。
この事態に〈1〉東京市場の掘り起こしのために営業所から支店へ格上げ〈2〉外部資金の導入〈3〉内部に公募で研究開発チームを設定し、権限の譲渡を図る〈4〉外部の評価を受ける――で一定の成果を上げ、売り上げ、利益も回復基調になり、本年から社長を管家勁(つよし)氏に委(まか)せ会長に就任。大手企業と組み、研究開発チームは次世代商品開発に邁進(まいしん)している。

コア技術の確立で 研究開発型に脱皮   (2003年10月21日掲載)
 出会いと変革で事業形態を変えた企業がある。今回訪問した滋賀県五個荘町の辻プラスチック(従業員八十人)は、辻勝氏(64)がプラスチックに夢を託し、自動車パーツの製造で一九六八年に創業した。
 中国など近隣諸国の追い上げに遭い急激な売り上げ減に直面。回復を目指し事業の多角化を試みていた矢先、大手太陽電池メーカーの筐体(きょうたい)作製の実績を買われ、竹田晴見・大阪電気通信大教授にその特許を用いた製品化を任された。教授の後押しもあり、共同で太陽電池を積んだ日本初の自発光交差点鋲(びょう)(発光ダイオードが高速点滅し事故を防ぐ)を開発。省エネでメンテナンス不要の製品がマスコミに取り上げられ、国内外から発注が舞い込み、関連商品開発に弾みがつく。
 コア技術確立で大手企業に部品発注が可能になり、研究開発型企業に脱皮する。ノウハウを他社に依存しない長年の企業風土が高度な加工技術の蓄積につながり、極めて困難な気密性と耐久性を求められる製品の開発を可能にした。
多くの経営者は出来ない理由を挙げ、挑戦を諦(あきら)める。しかし、視点を変え、出来ない理由を解き、それをつぶせば出来ることを示唆している。

メンバーの意識改革で 中小ネット次世代型へ   (2003年11月04日掲載)
 人工衛星の開発で話題を呼んでいる東大阪市は、日本を代表する中小製造業のメッカだ。その地で次世代企業を目指して今、静かな動きが始まっている。
 昭和三十六年に創業した機械部品加工業、八千代機工(従業員十人)の事業を昨年継承した長田有司社長(48)は、各種金属加工の中小零細企業十二社の後継者を集めた勉強会を五年前から続けている。
 共同受注・発注を試みる中小企業ネットワークは多いが、ほとんどが時間とともに消滅し成功事例は少ない。この勉強会も当初は懇親会と意見交換の場にすぎなかったが、メンバーは組織のあり方について真剣に話し合った。
 その結果、一社一社は小さくとも、経営資源を集積すれば、大抵の機械加工が可能になるとして〈1〉受注した企業が優先権を持つ〈2〉自社で出来ない仕事は安い手数料で得意メンバーに回す〈3〉打診のあった仕事は逃さない〈4〉メンバーの持つ機械・設備・得意技術の情報を相互に開示する――などの方針を確認。これにより、建設機械の機能部品などの受注に成功した。
 長田氏は、将来は勉強会のメンバーで新商品を開発し市場へ、と夢を抱いている。メンバーの意識改革を通じて、知恵を出し合えば、次世代企業に脱皮できる可能性を示唆している。

まち工場カルテ読売新聞夕刊 2003年6月17日~2003年11月11日

~あれから15年。その後を調査したコラムを、現在企画中です。~




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