コラム「「地財」探求の面白さ」

 「地財(ちざい)」とは何か。この言葉は新しく登場したばかりで、まだ湯気がたっている。今やっと始まったテーマであり、これからその内容を深め、対象を探り、鍛え上げられるために、多くの人の本格的な研究・活用への取組みを待っている。

 「地財」という視点は、ある特定の地域や産業・業界、さらには一私企業の中に眠っている技術やノウハウを見直し、社会的・経済的課題解決のための隠れた財産として掘り起こすことを意味している。広く一般的になっている考え方やモノの使い方ではなく、その地域独自、その業界独自、その企業独自のものの見方とは何か、そしてそれを多様性に満ちた空間に開放する視点とは何かを追究するものである。

 かつて日本というこの小さな極東の島国におけるモノづくりの驚異的な進展は世界中の注目を浴び、「モノづくりニッポン」と呼ばれて賞賛された。世界の中での日本の産業の存在価値は、細部にまで心配りがなされた優れたモノづくりの能力の発揮によって端的に示されていたと言える。

 社会学からの視点、特に私の研究分野である日本企業のモノづくりに即して言えば、日本における中小企業のあり方、中小企業におけるモノづくりのあり方について調べることは、日本経済全体の真の活性化について考えることに通じている。

 現在の日本の中小企業は様々な課題を抱えている。特に、フリーターやニート等の若年労働者の問題や後継者不足という問題で経営者は将来についてネガティブな論理に陥っている。さらに、中国の脅威や東アジアの台頭によって日本の中小企業が沈没していくという現実に直面しながらも、自らの行動の基本となるモノづくりというものの捕らえ方に根本的な誤解を持ったまま今に至っている。

 行政も経営者も皆、とにかくモノづくりをしなければいけない、より良いモノをつくらなければならないという義務感が強く、言わばモノづくりの呪縛にかられて、柔軟に対処することが出来ていない。困難に直面した時に、解決のためのいろいろな道があるということが分からなくなっている。そうしたことに対する感度のいいアンテナがなくなっており、どのようにアンテナを磨いてやればいいかが分からないのである。

 モノづくりにおける変革の要点は、「モノ」から「コト」へ移行するものづくりの新たな視点、新たなプロセスを理解し、実践することにある。つくり上げる「モノ」そのものに執着せず、どういう「コト」が出来るのかに焦点を合わせた発想こそ求められているのである。そうした視点で、自らの周辺、足元を見直してみれば、まだまだ沢山の見えない財産が埋もれており、手付かずの鉱脈がひっそりと眠っているはずだ。

 このところ、行政は知的財産を育成し、擁護することを声高らかに謳いあげ、知財こそが日本の将来を左右するとして推奨しているが、果たしてそれがいかほどの効果をあげるのか、充分に吟味する必要があるように思う。私は今、敢えて「知財」より「地財」を! と呼びかけたい。「地財」の在り処・在り様は多様多彩で、その探り方にも工夫を要するが、自分の手でしか掘り起こせないものであることだけは、はっきりとしている。自らの手で掘り起こす、自分だけが持つノウハウはかけがえのない財産であるということに注意を払うべきであり、掘り起こすというそのこと自体が、「知」の活用を超えて遥かに大きな実りをもたらす作業なのである。

 こうした「地財」探求の面白さは、衰退するものの中に復活の芽を見出す興奮と、見慣れたモノが新しいコトに変化する驚きと、なによりも新鮮な発見の現場に立ち会う喜びにある。

投稿日時: 2014年1月16日