コラム「小企業の時代が来た」

中小企業の連携が課題

 中小企業をまわっていて感じることは、アベノミクスでいわれているほど景気は良くなく、厳しい現実がまだ続いているということです。

 東大阪には優秀な技術を持っている中小企業がたくさんあります。しかし優秀な技術を持っていても受注に結びつきません。そこで東大阪で進めているのは中小企業の連携です。中小企業の技術を生かして新しい製品をつくる、新しい取り組みをする。私も中小企業を集めて連携に取り組んできました。しかし新しい製品が出来て成功をおさめた瞬間から失敗が始まります。誰が販路を取るのか、誰が製品を納めるのかと分裂が始まります。このように継続性に欠ける現実があります。また、国からお金をもらうという支援はいいのですが、支援が途切れた段階で計画が挫折することもあります。

公的な研究所の活用がおすすめ

 それでは、自立するにはどうしたらいいのか? 連携はなぜ失敗するのか? それはコアな人材がいないことが原因ではないかと思っています。

 産官学のコーディネーターにはいろんな人がいますが、国は中小企業の経営者OBには任せません。大手企業のOBをコーディネーターにおきます。私は大手企業のOBと酒を飲みながら話を聞きましたが、彼らは現場をあまりよく知りませんし、また中小企業の経営者を低く見ています。こんなコーディネーターから産官学の連携は生まれません。その上、大手企業のOBは産官学の窓口が大学にあることから研究を大学の研究室に依頼しますが、ピントが外れている為、研究テーマに学生が興味を示さなかったり、論文発表に役立たなかったりします。それでは研究は進みませんし、仮に進んだとしてもスピードが遅すぎます。また国は産官学連携を推進していますが大きな成果を上げることもできないでしょう。

 私は産官学の連携の前にやることがあると中小企業の経営者に訴えています。それは公的な研究所をまず利用することです。大阪であれば地方独立行政法人大阪府立産業技術総合研究所、地方独立行政法人大阪市立工業研究所などを利用することができます。利用料も安く、委託研究は25万円もあれば利用できますし、そこにはそれぞれの分野で精通した先生方もたくさんいらっしゃいます。その先生方に自社が抱えている研究・技術を理解していただき、その先生方の出身大学を紹介してもらうと産官学の連携も進み、成功事例も多く産み出せます。

「地財」活用が地域の再生のカギ

 私は「地財」ということを呼びかけています。地域にはその地域に眠っている財産があります。企業に当てはめれば、それは企業が長年にわたり蓄積してきた技術・知識・人材・ネットワークなどです。企業・地域再生の基本はこの「地財」を掘り起こすことなのです。

 一例として泉州の例を挙げます。泉州はタオルなどの繊維産業の中心でしたが現在は衰退しています。伊藤忠商事(株)元繊維部長の松田さんが泉州には財産がある。それを生かして仕事をしたらと提言されたのをきっかけにして、若者たち3人が(株)クレッシェンドという会社を立ち上げ、デザイナーも参加して、(株)ワールドに新しいデザインの商品を提案しました。その提案を採用した(株)ワールドはアンテナショップでその商品を売ると売れ行きがよく、万単位の発注を(株)クレッシェンドに出しました。(株)クレッシェンドは即座に応え、出荷しました。泉州の地財力を生かして万単位の製造を可能にしたのです。(株)ワールドは海外生産を中心に事業を展開していましたが、次世代製品として力を入れていた商品が生産拠点の中国から情報が漏れてヨーロッパで先に売られていたという苦い経験がたびたびあり、秘密が確保できない海外よりも国内で生産したいと考えていたのです。

 ここに繊維産業の復活の可能性が見て取れます。大阪は繊維産業の中心でした。繊維産業の復活は日本の復活につながると考えています。

「もの」から「こと」への発想の転換

 衰退した繊維産業を蘇えらせるためには「もの」をつくることからその技術はどんな「こと」に応用できるのかという「もの」から「こと」へと発想を変えることが大切です。現在では繊維産業の技術で網の目の細かい繊維を織り、アールオー膜(逆浸透膜)の開発に成功しています。ブレーキの部品もつくっています。このように繊維は繊維産業から他の産業に進出しています。このことは、播州の先染めにもいえることです。地場の技術を使って新しい製品を生み出しています。

「悉皆屋」文化と京都試作ネッ

 京都では着物のことなら丸洗い、染め抜き、紋入れ、仕立て直しなど何でもするという「悉皆屋(しっかいや)」という文化が残っていて、京都試作ネットの原点になっています。

 それぞれの技術者はドラッカーの研究会から始まって6年間の時間をかけてそれぞれの持っている技術を持ち寄って何でもこなすネットワークを作り上げました。そのネットワークではコアな技術をオープンにして助け合う信頼関係が基礎にあります。これは、京都西陣に古くからある「悉皆屋」文化がはぐくんだ成功例です。

ものが言える枠組みが大切

 東大阪では昭和58年に1万社以上あった企業数が、現在6000を切り、特に1~9人以下の企業が減少しています。私は少しでもこの東大阪の現状を打開したいと思い、企業連携を進めるために国の支援を受けたプロジェクトに取り組み、30数社の企業に集まってもらいました。そのとき私は東大阪は村社会だと感じました。5社の親方企業(発注元)とその関連会社(下請)が集まりましたが、プロジェクトを説明して会議を始めても意見は出ません。意見が出ても親企業の社長さんが言うだけです。これではプロジェクトが前に進みません。

 そこで私は私のゼミ生やプロジェクトに参加している方にも手伝ってもらって参加企業を廻り、それぞれの持っている技術を洗い直し、5つの製品案を提案しました。さらに、親方・子方の関係では意見も出ませんし前にも進みませんから、一律10万円の出資金を出してもらい、対等な関係を作りました。それからは各社から意見が出るようになり、アイディアも出てきました。その結果、誰の目にもとまらなかった包装紙をつくっているメーカーさんのプチプチを使ってパーティーグッズをつくることになり、メーカーだけからの視点ではものづくりに限界があるので販売の現場である東急ハンズの方の意見も参考にして製品を完成させたのでした。このように気兼ねしない、意見の言える枠組みをつくることによって成功への道が開けました。結果的にそのパーティーグッズは数多く売れ、完売致しました。知財権を取っていなかったので名古屋のメーカーにあっという間に取られましたが、この取り組みを通じて参加各社が自社の見直しを始め、企業の連携が模索され始めました。

コア技術の棚卸から

 もう一つの例は、東大阪の若手経営者の取り組みです。尼崎にある東亜バルブエンジニアリング株式会社の関連会社14社でつくる八千代会の取り組みです。その会は若手の会で、マナーを学ぼうということから生まれ、そこに私は講師として招かれました。そのとき景気も悪かったので、この会でなにかできないかという声が上がり、そこでまず私は各社と各々の関連会社5~10社の持っている要素技術を書き出してもらいました。それを見ると金属加工のすべての技術があることがわかりました。その技術を八千代会というブランドで破砕機のメーカーに売り込みに行った結果、仕事を受注して新しい販路を広げることができたのです。

 何ができるのか、どんな「こと」ができるのかを胸襟を開いて話し合い、仕組みを作っていけば企業連携を実現していくことができるのです。

 日本には三百数十の地場産業があり、要素技術が無数にあふれています。「もの」から「こと」への転換と「差」「違」を活かしながら、胸襟を開いて連携できる仕組みを作り、公的研究機関から大学を巻き込んで小企業の再生を果たすことができると思います。

一般社団法人関西中小企業研究所(平成26年1月15日)講演会抜粋